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 投稿者:Lee aeran  投稿日:2014年 7月29日(火)22時40分11秒
  北朝鮮のスポーツ経費はWMD開発費を転用するだけでも解決可能です。

韓国と北朝鮮はスポーツを対話と交流の重要な手段として活用してきた。2000年に行われたシドニーオリンピックの開会式で歴史上初めて南北選手団が同時入場して以来国際スポーツ大会で実に8回に及ぶ同時入場をこなし韓国と北朝鮮が軍事的対決状態を中断し和合するかのようなイメージを演出したこともあった。

特に北朝鮮は2002年の韓国・釜山アジア大会の際288人、2005年の韓国・仁川アジア陸上選手権には124人の大規模‘美女軍団’と呼ばれる応援団を派遣し韓国の若い男性たちの心を大いに騒がせた。
また金正恩の夫人である‘李雪主(リ・ソルジュ)’が美女軍団のメンバーだったことや‘曺明愛(チョ・ミョンエ)’が韓国のCMモデルにキャスティングされたことをきっかけに北朝鮮の美女軍団に対する韓国国民たちの関心が高まった。

しかし美女軍団シンドロームはそれ以降相次いだ北朝鮮の‘金剛山韓国人観光客射殺事件、天安艦・延坪島攻撃’など数々の蛮行に埋もられ人々の脳裏から消えて行った。
北朝鮮の‘美女軍団’イベントは結局韓国政府と民間団体から莫大な財政的支援を受けるための手段に過ぎず、単に北朝鮮選手たちのメダル獲得と韓国国民の対北武装解除を狙った‘一回きりの政治ショー’だった。

そのような美女軍団興行に北朝鮮の金正恩が先代の後を継ぎ挑戦状を叩き出した。しかも‘700人という大規模選手団と応援団の訪韓滞在経費を全て韓国に支払ってもらいたい’と呆れたことを言いながら...
また応援団派遣計画発表の際には韓国政府の5.24対北制裁解除と2度に渡り行われた南北首脳宣言履行など対北政策転換を全面的に要求しながら‘スポーツを通して政治的目的を貫徹させようとする意図’を露骨にしていた金正恩が今度は‘神聖なスポーツが政治的に玩ばれてはならない’と主張した。
自ら‘スポーツを政治の駆引きに利用しようとする不純な勢力’だと認めたわけだ。

これは最近の北朝鮮による積極的な対日攻略の有様と似ている。金正恩は父親の金正日が犯した反人倫的拉致犯罪を自ら再調査すると買って出た。もちろんこれは拉致犯罪集団に犯罪の再構成の機会を提供しながら‘人道的事業’かのように見せ掛け免罪符を与えた日本の安倍政府があったからこそ可能なことだった。
果たして韓国政府も日本政府と同様北朝鮮に調子を合わせるべきだろうか。

北朝鮮は先日7月17日板門店で行われた南北実務協議で仁川アジア大会への参加を掲げながら韓国政府からより多い財政を恐喝しようとする意図を露骨的に表した。
OCAは貧困国支援プログラムである‘Vision 2014’を設け通常スポーツ弱小国に対して選手の体育装備、転地訓練費などを負担している。‘タダ’好きな北朝鮮はこの支援プログラムに一足早く申し込みOCAから滞在経費・訓練経費などの名目でお金を受け取った。また仁川アジア大会組織委員会が各国に提供する選手村入村費・選手団輸送経費の支援金を東ティモールやバングラデシュなど極貧国の2倍にも及ぶ金額を受け取った。北朝鮮の物乞いの実力が見事に発揮された場面だ。例として東ティモールなどが30名に対する支援を受けたとしたら北朝鮮はなんと50人分の宿泊費・航空経費を仁川アジア大会の組織委員会からせびり取った。だとすればそれ以外の選手団と大規模応援団の経費は自国負担が原則であり当然だ。さもなければ選手団と応援団の規模を減らすのが常識であろう。
しかし北朝鮮の金正恩は開催国が韓国だということを利用して残りの650人の滞在費と応援経費として9億円もの巨額を堂々と要求してきた。これはまさにこの機会に韓国国民の血税を全部強請り取ろうとする気立てで、北朝鮮当局の乞食、物乞い根性がむき出しになった。

北朝鮮‘美女軍団’は韓国国民たちの対北警戒心と安保意識を麻痺させるための北朝鮮政権の対南心理戦に過ぎない。このような北朝鮮応援団のために韓国は過去3度に渡り滞在経費として2億5千万円ほどを国税で支援した。
しかし北朝鮮美女軍団の選抜課程を見てみるとそれこそ少数精鋭の革命戦士だということが分かる。北朝鮮全域で徹底した思想検証と審査を通して選び抜かれた美女軍団は長期間韓国に派遣されるため喋るべき言葉から行動まで徹底的な合宿訓練を受け、言葉一言、行動一つ一つに一切の失敗がないように一対一の監視体系まで運営する。この際自分が監視すべき対象は分かっていても誰が自分を監視しているのか分からないので自由世界の豊かさを満喫できるような雰囲気ではない。
そして金正恩に対する忠誠心を誘発させるため頭の先から爪先まで生まれて一度も見たこともない輸入化粧品と高価な生活必需品、服を無償で支給し贅沢な食事とドルまで握らせてくれるので北朝鮮では美女軍団に選ばれること自体が宝くじに当たるのと同じくらいラッキーなことだ。
そのため幹部たちは自分の娘が応援団に選抜されるよう実力を行使したり選抜審査員には莫大な賄賂を渡すこともある。つまり北朝鮮美女軍団は滞在費を物乞いする‘乞食軍団’であると同時に高位層の娘たちと賄賂本位で選抜される‘賄賂軍団’なのだ。

現在国際社会の対北制裁で金脈が絶えてしまった金正恩は最も切実なドル稼ぎのため韓国に対しては美女軍団で、日本に対しては日本人拉致被害者再調査問題で惑わしている。韓国側は美女軍団が韓国の発展振りを見れば心が動き北朝鮮の変化にも役に立つと勝手に思い込んでおり、日本は日本で金正日が拒否した‘拉致被害者全員送還’を金正恩が太っ腹に呼応すると思っているがこれはすべてナイーブな妄想に過ぎない。

2002年釜山アジア大会と2005年仁川アジア陸上選手権に参加した美女軍団は北朝鮮に戻ってすぐに大変な思想検証の苦難を経験し一部の成員は言葉と行動を誤ったとして政治犯収容所に連れて行かれた。CMモデルとして北朝鮮より韓国でものすごい注目を受けた曺明愛は最近あらゆる病気と生活苦に悩んでいるということを北朝鮮内部通信によって耳にした。韓国の発展振りにどんなに感動し心理的変化があろうとその思いを口にすれば誰も気付かぬ内に処刑されるのが北朝鮮体制だ。

日本人拉北者送還問題も同じである。北朝鮮の金正日が否定し拒否し続けた日本人拉致被害者を金正恩が全員送還しようと本気で思ったならば、日本人拉致犯罪を専門的に担当してきた35号室などの工作機関を日朝交渉の前面に立てるべきだった。拉致犯罪を犯した張本人と日本人拉北者特別管理機関たちはこっそり抜けて、口先だけうるさくして全国規模の‘特別調査委員会’を構成したのは金正日の時と同様、拉北者の一人や二人を象徴的に送還させ残りの日本人拉致被害者は皆死亡したととぼけるためであり、調査経費と人件費を膨らませ日本に請求しようとしている乞食根性の現われだ。

実際金正恩の遊興費と豪華極まりない奢侈費、核-ミサイル実験費などの大量殺傷武器開発費用だけ減らしても国際スポーツ大会で開催国に物乞いしなくても済むはずだし、‘タダ出戦’あるいは‘乞食選手団・応援団’としてレッテルを張られなくて済む。また仮に‘偽りの偶像化教育’だったとは言え抗日革命歴史を誇りに思ってきた北朝鮮が金正恩時代になって対日人質-死体商売でつらを汚すこともなかっただろう。
 
 

休止

 投稿者:浅野泉メール  投稿日:2010年10月24日(日)00時10分23秒
  都合によりワシントンDCらち連絡会のウェブサイトを閉鎖いたしますので、ご了承ください。  

支援者

 投稿者:浅野泉メール  投稿日:2010年10月 8日(金)20時22分58秒
  政治活動家は拉致被害者家族の支援者であることに徹すべきである。彼等は拉致被害の顔にはなれない、なるべきではない。もし彼等が家族よりも前に出て顔であろうとすると、拉致救出の運動は党派的な運動であると誤解され、国民運動になれない。それでは拉致被害者は救出できないのだ。拉致被害者の救出に間に合わないのだ。  

あらゆる妨害を排除して、拉致被害者は救出しなければならない

 投稿者:浅野泉メール  投稿日:2010年 9月 3日(金)18時46分5秒
  私は非認定の拉致被害者大沢孝司の従兄弟で、かつ、ワシントンDCらち連絡会の世話人をしている浅野泉と申します。

色々とお騒がせして申し訳ないですが、以下を皆様にご連絡いたします。これは記録のためのご連絡です。

拉致問題はずっと行き詰っています。その後も誰一人救出できていません。そして将来に向けての希望を持った実行案の提示もなければ、実行の試みの芽もありません。過去において問題解決のためのさまざまの提案がありましたが、結果が出ないという意味ではそれらは破綻と言っても間違いではないと考えます。
そして拉致問題への関心は横ばいというのではなく徐々に徐々に風化しかかっています。

私がその問題の原因を、ここで批判の嵐を恐れずに端的に言えば、特には以下の二つ考えられます。

* 一つは、家族会とそれを支援する救う会が日本政府との協調を優先して、拉致問題の解決を必ずしも優先していないのではないかという現実です。
2002年9月17日の実情を知っているならば、その理由の如何は別にして、日本政府が拉致問題の幕引きを望んでいることは明確です。したがって肝心なのは、如何に国民の声を集約して政府に影響を与えていくかということでした。しかし日本政府との協調を優先したので、現状維持が続くことを自ら容認することになりました。そして多くの国民にとっては、拉致問題とは「可愛そうなめぐみちゃん、横田さんがんばって」という他人ごとになったのです。

* もう一つの問題は、救う会とともに拉致運動を強力に担ってきた特定失踪者問題調査会です。調査会は多くの拉致被害者の掘り起こしとか、日本政府主導の枠を超えた種々の活動で重要な役割を担ってきましたが、今のこの調査会にも問題がないわけではありません。特に今、私のこれから書こうとするのことはその問題です。

私は拉致被害者の救出、問題の解決には、拉致被害者家族同士の協力が必要不可欠だと信じるのですが、調査会がそれを一貫して妨害することです。過去においてはネットワークを作って家族どおしが連絡を取り合おうとの計画に、調査会は田舎の被害者家族を使うという汚い手まで使って妨害しました。
私が調査会に対しては何故に妨害するのか、と尋ねても、千差万別の家族同士が協力するのは難しいから、などというまるで説得力のない説明しかしません。私達は希望した家族が協力しようとしたのです。希望する家族が協力しようとしているのです。

今回はまた調査会は私達の、「拉致被害者大家族会」の活動を妨害をしかけています。

調査会は自分達で全てを管理しないと気がすまないようです。家族が調査会の前に出ることを極力嫌っています。
何故そうなのか真の理由はわかりません。
しかし調査会が自分達で管理しようとする意志を私は強く感じ続けてきました。

これが拉致問題が進展しない大きな原因です。
国民は、拉致被害者少数説を信じさせられ、また調査会は家族が表で協力するのを拒んでいるために、多くの拉致被害者家族の存在がちゃんと国民に浸透していません。
これでは拉致問題は他人ごとになり、少しづつ風化するのも当然です。

原点に戻りましょう。誘拐は許してはならないことです。それでもあったら原状回復が政府の義務です。賛成反対の余地はありません。政治論争をする問題ではありません。そしてそれを一番良く説得できるのは家族です。政治家、政治活動家ではありません。
多くの拉致被害者家族の存在を国民に伝え、他人への同情の問題としてではなく、皆の問題として、自分自身の問題として国民が理解した時、それがほんとうに救出に向かう第一歩だと考えます。

以上、皆様のご理解とご協力を切にお願い申し上げます。即には達成できないと思いますが、諦めることなく、ほんとうに拉致被害者の救出を果たしたいと思います。

以上、お騒がせいたしました。

浅野泉拝
 

大家族会発足要綱の最初のページ

 投稿者:浅野泉メール  投稿日:2010年 9月 3日(金)18時28分12秒
  拉致被害者の大家族会を作りましょう!
-ほんとうに自分の家族を救うために-

 このままでは、拉致被害者は救えません。
 他人任せでは、自分達の家族は救えません。もっと家族自身が前に出て、より多くの家族が協力して、自分達の家族をほんとうに救出するためにがんばらなければなりません。そしてそれが横田さん達のやってきたことです。横田さん達は、はっきりした認定どころか、まだ拉致という言葉さえ一般には知られていない中で、救出のための活動を始めました。そして血の出るような努力を続けて人々に訴え、少しづつ少しづつ日本を変えてきたのです。しかし横田さん達にだけ任せていても、ほんとうに救出するのは無理です。まだ国民の多くは、拉致はかわいそうなめぐみちゃんの話だと思っています。もっとより多くの家族が協力していかなければなりません。認定の有る無しにこだわっていたら、何もできません。みんなが協力しなければならないのです。
 10月23日の東京の大集会のおりに、次のページのように大家族会を発足したいと存じます。皆様のご理解とご協力を宜しくお願い申し上げます。
 誤解の無いように付け加えますが、調査会は絶対的な証拠が無いのに拉致と決定はできないのです。だから特定失踪者としか呼べないのです。しかし家族が訴える時、拉致として訴えるのは当然のことです。今後、今認定されていない家族は、この大家族会の一家族として、今まで同様あるいは一層の家族の救出のための努力を続けていくことになります。これにより一般国民の意識が変わり、政府も大家族会を無視できず、拉致被害者の救出に本気になるでしょう。
 

大家族会

 投稿者:浅野泉メール  投稿日:2010年 9月 3日(金)18時27分0秒
  前略

皆様にいつも大変にお世話になっております。
さて添付のように北朝鮮による拉致被害者家族による拉致被害者大家族会を発足いたします。
正式な結成日は10/23にです。当日都庁の場で発足いたしますので、皆様のご理解とご協力を宜しくお願い申します。

発足の趣旨は、拉致被害者家族を救出するための突破口を開くことです。
拉致問題が語られて既に久しいですが、拉致被害者の救出に人々の同情はあっても救出のための具体的な動きは何もなく、言葉はあっても実行が伴わず、人々は皆それぞれのしがらみの中で現状維持が続き、そして問題は少しづつ風化しています。

私達はそれを受け入れることはできません。救出のための実行がなされて果たせないならまだしも、意味のある実行が何もなされないままただ慢性化している、できることがないならまだしも、できることがあるのにやろうともしないで惰性化している、私達はそれを受け入れることはできません。

拉致被害者を救うために、私達は拉致被害者の大家族会を発足します。皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

草々

追記:より詳しい情報が必要な場合はご連絡ください。(大家族会発足要綱の2ページ目からは都合で省略してあります。)


このご連絡は非認定の拉致被害者、大沢孝司の従兄弟の浅野泉からご連絡を差し上げました。
 

非認定の拉致被害者家族の皆様へ

 投稿者:浅野メール  投稿日:2010年 7月29日(木)02時59分2秒
  非認定の拉致被害者家族の皆様へ

皆様、大変にご無沙汰しております。いつもありがとうございます。
さて今回のキムヒョンヒ来日の件でも、北朝鮮がその犯罪を認めていない非認定の拉致被害者に対しては、調査会の荒木さんが政府に問答無用の門前払いをくったように、政府には全く誠意もやる気も見られません。
元々、日本政府には拉致被害者をほんとうに救出しようという意志も具体的なアイデアも全く見られません。政府のやっていることは全て、救出には繋がらないが何かしているフリをするというアリバイ作りだけだと感じます。
それに加えて言えばですが、拉致被害者の救出を日本政府に任せっきりにするのは無理があるのと同様に、それを家族会の人達だけに任せても、あるいは救う会の人達だけに任せても、そして調査会の人達だけに任せていても、無理というものです。
それは言わば最初からわかっていたことだと思いますが、膠着状態は一貫して続きますし、全く光が見えないというのが現状だと思います。
このままでは、拉致被害者を救出できる見込みは全くありません。私達は他人に頼ってばかりいるのではなく、私達自身も自分達で行動を起こすべき時が来たのではないでしょうか。
そもそも元はと言えば非認定家族の集まりであった横田さん達の家族会が、いつの間にか認定家族の集まりに変質してしまって、その問題は数人のかわいそうな人達の問題というように矮小化されてしまいました。
それに非認定の被害者は調査会の荒木さんに頼りっきりだという問題があります。家族会の代表が横田さんや飯塚さんではなくて、家族でない西岡さんだったら人々を充分に説得できないのと同様に、非認定の被害者家族が荒木さんに代表されているのでは、政府に非認定家族の無視の口実を与えているようなものです。家族でない人が家族の代表をしても、多くの人々の心をほんとうに動かすのは土台無理な話です。被害者家族自身が訴えなければ人々の心を動かすことはできません。
非認定の家族は、横田さん達の家族会の人達のように政府に相手にされることもなく、またどうして良いかもわからず仕方なくバラバラに署名集めをしたりしています。別に署名集めが悪いというわけではないですが、署名集めは人々に認知されていない問題を広める際には効果的ですが、日本人全てが拉致問題を知っており、かつ被害者の救出自体に対しては誰も異論はない問題ですから、ただ署名を例えば百万人分集めても、大きな前進はあまり期待できないのではないでしょうか。
普通の人々はそれぞれが皆自分の生活で忙しいです。自分の生活で大変です。恒常化した不況、高い失業率、年金や健康保険等の将来への不安、あるいは日々の生活にも苦労している人々も少なくないと思います。そのような人々と拉致だ拉致だと何年も同じことを言っても、せいぜい署名位してくれる人はいると思います。あるいは千円位寄付してくれる人もいるかもしれません。ただそれを何年も続けていても進展は望めないのではないでしょうか。
問題は、どこでも拉致被害者救出の活動が恒常的になってしまって、職業的になってしまって、その柵の中で、マンネリが続いていると感じるのは私だけでしょうか。どなたか、拉致被害者を救出する具体的なアイデアのある方には教えてもらいたいものです。私は個人的に何年もそのような人を探してきましたが、見つかりませんでした。
誤解のないようにお話ししますが、私の考えは、最近に家族会への批判を強めている元家族会の蓮池透さんの考えとは全く違います。彼は彼なりに、ずっと状況が行き詰っていることにイライラしているのでしょうが、蓮池さんは北朝鮮と話し合いをして家族を返してもらうという意見のようです。しかし拉致被害者にしろ、在日帰還の人にしろ、北朝鮮の国民にしろ、北朝鮮からの出国が法律違反、場合によると死刑の国ですから、出国できないというのは、北朝鮮の根幹であり、話合って返してもらうという意見には全く同意できません。
話を元に戻します。今のままでは家族を救出できる希望は全くありません。このまま日本で待つ家族も、北朝鮮で救いを待つ家族も少しづつ死んでいくのを待つだけなのでしょうか。そして救出を他人任せにして自己満足に終わるのでしょうか。政府に任せても、家族会に任せても、救う会に任せても、調査会に任せても、家族は救うことができません。もし他人が本気でないなら、自分達で努力すべきではないでしょうか。もし政府にほんとうのやる気がないならば、人々を動かして政府を変えていこうとすべきではないでしょうか。
まだ多くの人は、拉致問題というのは、少数のかわいそうな他人の話だと思っています。北朝鮮が認めていない非認定の被害者はたくさんいます。拉致問題というのは、かわいそうな少数の他人の話ではなく、多くの人の問題、国民全部の問題だと示せるのは、非認定の家族です。非認定の家族が、拉致問題を解決する鍵なのです。
具体的な話になります。10/23に東京で調査会主催の集会があります。その時に、1997年にまだ非認定の家族だった横田さん達が集まって人々にとつとつと訴えて、山をも動かすように、少しづつ人々の心を動かし始めていったように、私達もすべきです。
具体的には10/23に東京の集会において、1997年に横田さん達がしたのと同様に、記者団を前に非認定の拉致被害者の家族が机に横一列に並んで、それぞれが自分の家族の写真を示し、自分の家族のことを話すのです。
この非認定家族の会は、家族会がそうであったように、(非認定)拉致被害者家族連絡会です。政治団体ではありません。それに皆さん、遠いとか、年老いているとか、忙しいとか、色々な理由であまり活動できないと思います。これはあくまで連絡会です。お互いに連絡を取り合う。そして何よりも、たくさんの拉致被害者がいることを人々に示し、訴えるための会です。因みに付け加えますが、私達の目的は政府に認定してもらうとか、政府に大事にしてもらうとか、そういうことでは断じてありません。自分達の家族を救うため、人々に訴えて、政府を変えていくためです。
どうか皆様のご理解とご協力をここに切にお願い申し上げます。また支援者の皆様、どうか非認定の家族をサポートしていってくださること、重ねて宜しくお願い申し上げます。

浅野泉拝
 

参考情報-3

 投稿者:浅野メール  投稿日:2010年 3月16日(火)23時04分17秒
  参考情報-2からの続き

◆「法務省と警察と相談して結論を出す」中井大臣
そして中井大臣に会いました。最初、文雄さんは緊張して、「私は床屋の親父
なのでこんな雲の上の人とは話せません」と言ったら、大臣が「床屋の親父でい
いですよ」と言ってくれたので、文雄さんがワーっと話し始めて、思いのたけを
かなり長く話していました。大臣の話はあまり多くなく、寺越事件の認定、二人
の子どもの国籍回復と保護の対象にしてほしいこと、また拉致問題全般について
民主党政権になってどこか変わったのか、今どうなっているのか、ということを
質問し、話を聞いてきました。

拉致認定と国籍回復については、法務省と警察と相談して結論を出しますとい
うことでした。法務大臣とは自分が折衝します、とのことでした。その他、金賢
姫のこともやっているということなどがありました。以上が今日の活動の報告で
す。

拉致被害者に子どもがいて、さらに孫までいるという状況です。もしかしても
う少ししたらヘギョンさんが結婚するかもしれない。子どもが生まれたら横田夫
妻のひ孫になります。そのくらい日数が経っているということです。特に寺越事
件は1963年ですから。

寺越昭男 もうすぐ半世紀になります。

西岡 次に、今回の資料整理を担っていただいた救う会兵庫の長瀬さんに補足を
してもらいます。

◆100通を越える手紙には「遭難救助」と書いてない
長瀬 今回、神戸の寺越文雄さんがもっておられる厖大な数の手紙や写真を整理
するお手伝いをしました救う会兵庫の長瀬猛です。寺越さんとのお付き合いはず
いぶん長いものになります。薄紙を重ねるように信頼関係を築いて、つい最近、
「そういうことであれば手紙を一切合財預けるから整理をしてほしい」というこ
とで、手紙をお預かりすることになりました。

手紙には色々なことが書いてあります。私が関心を持ったのは、拉致の原因が
どのように述べられているかという点です。100通を越える手紙の中に、遭難で
助けられたという箇所は、一箇所もありませんでした。拉致されたということも、
もちろん書いてありませんが、北朝鮮にとって決して都合が悪くない遭難救助が
一切書かれていないのです。

ちなみに、兄弟で上から3番目のお姉さんのところに始めて来た手紙は、「色
々な事情があって北朝鮮で今暮らしていて子どもがいる」というくだりかた始ま
ります。寺越家が訪朝することになり、外雄さんから見れば母方の親戚に当たる
方がとても尽力され、その方宛の手紙も何通かありました。そこに唯一、北朝鮮
に渡った理由が述べられています。

「金沢の人たち(友枝さん)や、社会党の島崎先生たちが言っていた。だいたい
その通りです」というくだりがあります。今回公開の対象にはしていません。こ
ういうことから、寺越事件というものは決して海難救助事件ではなかったという
ことを十分読み取ることができると思っています。

文雄さんが、非常に長い間苦労しながら、弟の家族を支えてこられたことが、
手紙の中に随所に出てきます。本当に切ない手紙です。

北朝鮮は、体制に関係ないことは案外ノーチェックです。昨日届いた手紙は、
文雄さんから公開のお許しをいただきました。これには外雄さんの家族の住所も
書かれています。文面を読ませていただきます。これは2月3日、つい最近書かれ
たものです。横田めぐみさんや有本恵子さんがいる北朝鮮から、拉致被害者の生
きる証として書かれたものです。

◆外雄さん家族会から「昨日届いた」手紙
(分かりにくい記述は一部訂正)
新年、2010年を迎えご家族のみなさんお元気ですか。お久しぶりにペンを取り
ました。

今日まで心の中に秘めていた事実を書こうと思います。私からの手紙を読むの
がぞっとするそうですが、ほんとうですか? はっきり言って今、私達の生活は
貴方らには想像もできないぐらいの“固難(苦難か?)の行軍”をしております。
もう10年も過ぎました。でも全国民が団結しその固難を貫ぬいて前進しておりま
す。親戚はもちろん、となり近所の人達と食べ物が互に助けあって生活してきま
した。

外雄さんもこの波にのって日本人ですが立派な生涯をささげてくれました。現
在まで生きていればきっと共和国英雄になったはずです。こちらで朝鮮統一に身
心をささげ国際主義戦士の模範を示したことでしょう。統一後には恋しい兄弟姉
妹のいる古里に帰ると、ひとみをかがやかしながら(話していた=救う会判読)
主人が想いうかびます。武志や明哲のでるまくではありません。

今はつらい苦しい“行軍”をしても2~3年後にはきっと豊かな朝鮮“強盛大国”
になった後、貴方達、親戚のみなさんに恩返しできるよう頑張って生きて行きな
さいと思って居ります。昔から恩は恩で返せとの言葉があるが、現在の私らには
それが出きないため、私からの手紙を見るのがぞっとすることでしょう。つらい
この気持ちを良解を望みます。

話が変りますが、(文雄さんの親戚の名前あり)さんも“ガン”のおそれがあ
ると手紙にありました。文雄さん恵子さんもみんなそれぞれに病気を持っている
ようですが、どんなに辛いことでしょう。お体に気をつけて健康でいることを願っ
て居ます。

その点、私も同じです。長年の胃カタールから3年前に中国製のアスピリンが
胃にくっついて6ヶ月間の治療でよくなったと思ったんですが悪化して、胃液が
無酸で、去年の春の診断で、“胃ガン”ときき、一時は目の前がまっ暗で、淋し
さのあまりなきくずれました。後、“ガン”でも良悪があるそうで、私の場合は
良の方だと言っています。

死を決心して人間はこわい物はありません。いろいろと心配ばかりおかけして
報いることが出来ないことが胸につかえて真に申し訳有りません。私達がみなさ
んと立場が逆だったらどうしたか、最高に尽くすことが出きたかと自分自身に問
うてもみました……。

私の一生の希望は、親戚のみなさんにお逢いして気の気く(向く?)まで話合っ
て、だき合って、身内のあたたかい情を味うことでした。それで墓参りも来てく
れ、訪朝してくれと書くようになったんです。

その希望がかなえられないユメで終ってしまいました。明哲は幸せに嫁や娘が
いる家庭であるが、明心はいまだに一人。私ひとりを当てにしてだれも知人もな
い、たった一人ぼっちになるのが可哀想で、目をつぶることができません。夜は
夜でねむることが出きません。明哲の嫁さんは主人の法事にもこない。ただ武志
の家には行くそうです。

友枝はなぜ、私や外雄さんをにくむのか? 私が寺越家に何か悪いことでもし
たのか? 今は武志も他人行儀で口もききません。

又、日本でもみなさん方も、私らがなにか物でもほしさに手紙するんじゃない
かと、当てにするな、もう最後だと淋しい手紙ばかりで、私は死んでも目をつぶ
ることが出きません。明心には父さんの墓を家の前の山へうつして、私の墓もそ
こに建ててくれとたのんでいます。

文雄兄さん、恵子さん、お願いです。私がだめなら明心だけでも暖かい春がきっ
とおとずれるとお手紙一通でもやって下さい。

私と明心は、一生懸命働いて居ります。最後の血が一滴になるまで働いていく
つもりです。のらくらしてたよりにしていると考えないでください。

まだまだ書きたい事が沢山ありますが、心がへんに興奮してドキドキして手が
ふるえ書くことができません。(文雄さんの親戚の名前あり)には生前、外雄さ
んが口ぐせのように言っていました。ところがこの度“せきずい”との怖い病気
にかかってなんともいうことができません。どうかよろしく伝えてください。

くれぐれも体に気をつけて末永く幸福をお祈り致しつつペンを置きます。さよ
うなら。命がつづくかぎり手紙します。

◆「ズボンの裾をめくりました」
以上が、昨日届いた北朝鮮の韓福生さんからの手紙です。いずれももっと切な
いことばかり書いてある手紙が文雄さんの所にありました。

文雄さんは、現金を送ってもほとんど手元に残らないことが分かったので、わ
ざとズボンの裾を短くあげて、「ズボンの裾が短いかもしれないから必ず直すよ
うに」と書いて、そこに現金を挟み込んでいたという話を聞きました。また、調
査すると、「ズボンの裾をめくりました」という手紙も出てきます。これはお話
と一致してきます。情報が少ない中で、文雄さんやご家族が支えておられたんだ
なと、手紙を拝見してつくづく思いました。

寺越さんの件では、これからもお手伝いをしていこうと思っております。これ
まで私が関わった他の拉致事件に比べて、寺越事件で最も特徴的なのは、思いが
生で聞こえるほど情報量が多いということです。手紙や写真がこんなに多いのは
初めてです。この貴重な資料をしっかりまとめて実のあるものにまとめていかな
ければならないと決意を新たにした次第です。

◆「地獄のような生活から救い出」して
寺越昭男(拉致被害者寺越昭二さん長男)
今日は遅くまでありがとうございます。拉致問題は、みなさんのお力を借りて
被害者を取戻すことです。私たちだけでは太刀打ちできないという思いがあり、
国民の世論、そして家族会・救う会の力で解決していくしかありません。報道の
方を含め、今後とも宜しく応援してくださいますようお願い致します。

内田美津夫(拉致被害者寺越昭二さん三男)
私たちが声を上げ、東京に来た時に、寺越友枝さんが石川の新聞で誹謗・中傷
を行いました。それを東京で聞き、「弱ったなあ」と思ったのですが、地元に帰
る車の中で、兄弟三人で話合いました。「どんなに誹謗・中傷されても、武志と
友枝さんのことについては我々は言わないでおこう。我々子ども三人は、我々の
父親のことだけを思って活動していこう」。そういうことを三人で決めたことを
思い出します。そのことで8年間やってきましたが、外雄さんの家族については
何も活動してこなかったことを、今、悔やんでいます。手紙にもありますように、
北の生活は本当に大変だということが、皆さんにも分かっていただけたと思いま
す。北の国民も大変ですが、拉致被害者も苦しい生活を送っているのはまちがい
ないと思っています。一刻も早く、日本の国が動いて拉致被害者を取戻し、地獄
のような生活から救い出すことをやってほしいと思います。寺越の親族が必死に
なってまず拉致認定をしてもらい、「被害者だから早く返せ」という活動が実現
できるようやっていきたいと思っていますので、ご支援宜しくお願いいたします。

以上
 

参考情報-2

 投稿者:浅野メール  投稿日:2010年 3月16日(火)23時02分4秒
  参考情報-1からの続き

◆外雄さん家族は拉致被害者支援法の支援対象
今の拉致被害者支援法では、本人及びその直系家族を支援の対象としています。
小泉総理は、二度目の訪朝の時は、被害者が帰ってきているにもかかわらず総理
大臣が子どもたちを取戻しに行ったのです。総理が出て行くような位置づけが、
被害者の子どもたちであるわけです。

従って、外雄さんの二人の子どもたちも、寺越事件が拉致だと認定されれば、
被害者の子どもとして、日本の総理が出て行って、小泉さんがジェンキンズさん
を説得したのと同じように韓福生さんを説得して、「日本を信じてください」と
か言って連れてこなくてはならないという、同じ位置づけになるべき存在です。
まだ認定されていないということがありますが、どう見ても拉致です。

しかし、それをするためにも法的なことがまだ整っていない、戸籍が整備され
ていないのです。日本にいる人で一番近い人は、お兄さんの文雄さんですが、文
雄さんは今、糖尿病になられて、74歳で、いつ自分もお迎えが来るか分からない、
と。そういう中で、最後に甥と姪のためにできることは、日本国籍を回復させる
ことだ、そして政府に拉致被害者の家族としての支援を頼むことだということで
す。

それも色々迷われて、文雄さんのところはどうも、朝鮮総連が視野に入れてい
るようです。客商売をされていますから、お客さんの中にそういう人がいるよう
です。また、寺越家の内部も複雑で、友枝さんのところと、外の寺越家の家族の
人たちの間が微妙です。援助の問題で、友枝さんは、自分は「外雄さんに渡して
ね」と言われたものを外雄さんに渡したのに、寺越の他の親戚では私が武志にえ
こひいきをしたように言っている、と本に書いていますし、文雄さんの話を聞く
と、外雄さんの分として皆で集めたものも武志さんに行っているのじゃかないか、
と疑いがあったりして、「友枝さんを通さず直接送ってくれ」という手紙が来た
りしたこともあった。だから、文雄さんが外雄さんを支えていて、友枝さんが武
志さんを支えているということになっています。

文雄さんが色々なことで活動すると、友枝さんがまた色々なことをおっしゃる。
それは昭男さんたちのことについてもあったりしました。そういう中で、「もう
歳もとったので表に出るのは」と考えておられたのです。私も一度神戸に行き、
長瀬さんは何回も通っておられますが、甥と姪のことを文雄さんしか政府にきち
んと保護を頼む人はいない、と。甥と姪は家族に間違いないのだから政府は保護
すべき対象で、日本に帰ってくれば支援法に基づいて資金の提供も受けられる資
格の人です。

外雄さんは北朝鮮で亡くなっていますが、二人の子どもがいるんだということ
を政府及び世論に分かってもらわなくてはならない。そして、戸籍上も出生届を
出さなくてはならない。そういう話をして、去年の夏くらいにとの話もありまし
たが、様々な事情から延び延びになっていましたが、新政権になって、「拉致被
害者の認定を増やす」と中井大臣も色々なところでおっしゃっているので、であ
れば寺越事件は第一番目に来る筈だし、そのことをやりながら、外雄さんの二人
の子どものことも日本政府は目を離さないでくださいよ、と言いに行こうという
ことで、今日の陳情活動になったわけです。

◆政府に3項目要請
お配りした要請書では、要請事項が3つあります。

要請事項の1は、「政府は、寺越事件を北朝鮮による拉致事件と認定すること。
また、寺越外雄の家族を拉致被害者家族として位置づけること」です。

寺越さんたちはもう家族会に入っています。我々も拉致だと思って活動してい
ますが、政府がまだ認定していないのです。「寺越外雄の家族」というのは、金
明哲さん、金明心さん、そして配偶者である韓福生さんを被害者家族とすること。

そして、実は、明哲さんに子どもがいることが分かりました。拉致被害者の孫
がいるのです。まだ名前は分からないのですが、娘さんがいる。昨日来た手紙に
そのことが書いてありました。

2は、「法務省は、寺越文雄らが進めようとしている寺越外雄の戸籍上の死亡
日の変更、長男長女の戸籍作成作業を支援すること」、3は、「外務省は、北朝
鮮との交渉において寺越外雄の妻と子ども、そしてその配偶者及び直系子孫につ
いて、安全を確保し日本への帰国を求めること」で、これらの要請をしてきまし
た。

実は、この要請文を作っていて一番大変だったのは、外雄さんが北朝鮮にいる
ことは手紙等もあって分かるのですが、いつ結婚したのかが分からない。また、
いつ子どもが生まれたかも分からないのです。手紙は約100通あるのですが、誕
生日は書いてない。

◆婚姻の日も出生日も分からない
結婚については、『再会』という冊子、これは島崎譲さんという社会党の元国
会議員が、87年の友枝さんご夫妻の最初の訪朝に付いていって、帰ってきてから、
「北朝鮮に感謝する」と、「これは遭難救助事件だった」と言って作ったもので
す。寺越家にもお金を払えと言って買い上げさせられたいわく付きのものです。
1冊500円でした。これに結婚の年月日が書いてある。島崎さんは、生きていた外
雄さんから聞いたのでしょうが、子どもの生まれた日はこれには書いてない。

出生届を出すには、生まれた日付が分からないで日本の戸籍にのせることがで
きるのだろうか、と考えたわけです。だからと言って、北に電話して戸籍謄本を
送ってくれとか、外国人登録証を持ってきてくれと言えるような関係ではない。
北朝鮮は、「本人たちは誇らしい北朝鮮の国民で幸せに暮らしている。なぜ今、
日本国籍を作らなくてはならないのか」となりかねない。「右翼の反動どもがま
た陰謀をしている」となりかねない。本人たちがそれに協力すると、何か言われ
るかもしれない。そういう中で生年月日をどう特定するか。分からない中で、ど
ういうことができるのか陳情もし、法務省にも聞きにいきました。

昨日の夜まで、長瀬さんが、主要な手紙をスキャンして、それを東京に送って
きてみんなで読み、やっと生年までは特定できましたが、月日が分からない。89
年1月11日付けの外雄さんからの新年の手紙があり、「新しい年を迎え僕は50才、
妻は43才、明哲は18才、明心は15才に成りました」と書いてありました。89年で
すから、まだ外雄さんは生きておられたのです。外雄さんの出生日は分かってい
ます。1939年2月7日生まれです。そこから逆算しました。

満年齢なのか数えなのか、1月11日時点のものかどうかなど、色々と考えられ
ます。しかし、その前年の1月2日付けでは、「僕の長男明哲は今年17歳で9月に
中学校を卒業します」とあったり、94年12月には、「今年わが家では不祥事が」
あり、お父さんが死亡した、と明哲さんから手紙が来て、そこでは大学の5学年
とありました。北朝鮮では大学の5学年は満で21か22歳です。2001年に福生さん
から来た手紙では、「明哲もみなさんの援助のおかげで無事に結婚にゴールイン
致しました。今年は明心の番になりました。相手は中学校の先生で私の友達の息
子さんです(30才)。明心も27才でヨメに行く年はもうすぎたんですが、明哲の
ためおそくなりました」とありました。

これらを総合すると、福生さんが46年生れ、明哲さんが71年生れ、明心さんが
74年生れではないかと。現在の歳は、満で、福生さんが64歳、明哲さんが39歳、
明心さんが36歳となります。ちなみに武志さんは13歳で拉致され、今満60歳です。

また、『人情の海』という武志さんの手記の中で、外雄さんのことを書いてい
る部分があり、奥さん、長男長女の名前がありました。これは荒木信子さんが翻
訳したものがあり、ポクセン(福生)、ミョンチョル(明哲)、ミョンシム(明
心)と名前が合います。武志さんが「拉致はない」とした手記ですが、名前は同
じです。

実は、昨日夜まで資料を作っていたのですが、昨日北朝鮮から文雄さんに手紙
が来ました。これは偶然なのか。今までのような封筒ではなく、白い封筒でした。
文雄さんはこれを見て、朝鮮総連の人が自分たちの動きを知ってポストに入れた
のではないか」と疑ったそうですが、切手も消印も北朝鮮のものでした。我々の
資料では、「最近は手紙がない」と書いたのですが、あったことになります。そ
して、今も亀城市に住んでいます。武志さんは平壌に引越したわけですが、外雄
さんは亀城にいて、家族も亀城にいるようです。そして福生さんと、まだお嫁に
行っていない明心さんが一緒に住んでいます。明心さんは結婚したかもしれない
と思っていたのですが、それがうまくまとまらなかったようです。

そしてもう一つ、明哲さんに娘がいると書いてあります。ここで、拉致被害者
の孫の存在が明らかになったわけです。ここまでは昨日までの話です。

◆外雄さん家族は、戸籍回復がされていなくても「当然邦人保護の対象」
そして今日、3時に外務省、4時に法務省、5時10分に中井大臣にお会いしまし
た。外務省では、北東アジア課長に会いました。斎木局長は他用があり会えませ
んでしたが、この案件をよくご存知です。北朝鮮が出してきた昭二さんの「遺骨」
には土しかはいっていなかったこと、北朝鮮が出してきた昭二さんの「墓」だと
いう写真に刻まれている誕生日の日付が1日間違っていることなどです。北朝鮮
に上陸していれば、昭二さんが嘘をいう筈がありません。間違ったということは、
昭二さんは上陸していないと思われます。

外務省としてこの事実を認識し、交渉に出すようお願いしました。増元さんは
かなり厳しいことを言い、「寺越武志さんの帰国について交渉に出しているのか」
等言われました。私は、外雄さんの子どもがいることは写真や手紙で明らかだか
ら、北朝鮮で大混乱が起きた場合には戸籍回復がされていなくても、邦人保護の
観点から、明哲さんも明心さんも保護の対象にしてほしいと言ったら、「そのこ
とは当然そのように考えます」という話がありました。

その後、法務省民事局民事第一課に行き、戸籍関係の専門家の方々と実務的な
話をしました。既に、増元さんがるみ子さんの戸籍回復をした事例がありますが、
これは家庭裁判所でやりました。これも家庭裁判所でやらなければならないのか
な、と話しながら行ったのですが、先ほど話しましたように、海難事故なので海
上保安庁が管轄とのことでした。保安庁が死亡認定をし、それが市区町村に送ら
れて戸籍に反映されるそうです。るみ子さんの場合は、陸上での事件なのでまず
失踪届けが出て、家裁が何年か後に失踪宣告をするそうです。そして戸籍が処理
される。保安庁は行政ですから裁判所にいかなくていいようです。そして、死亡
取消認定をしてもらう。武志さんもやっていますし、63年後も生きていた証拠は
たくさんありますから簡単にできます。

しかし、94年に死亡したことは別で、死亡届を法務局に出すそうです。そして
子どもを籍に入れるには、まず婚姻届を出し、次に出生届を出す。婚姻関係にあ
る人から生まれたことを法務局が認めれば戸籍に載せる。しかし、客観的な証拠
が必要で一番いいのは公的な資料とのことです。

そこで我々が、「しかし、北朝鮮という国は書類も偽物を出します。死亡診断
書も偽物だった。そもそも人質にとられていて、そこで結婚して子どもができた
ので、本人が公的資料を取れる状況ではない。人質の子どもを保護する観点から
戸籍処理をしてほしい」とお願いしました。「北朝鮮が拉致をしているから政府
が対策本部を作っているのだから、書類がどうこうでは困る」と言いました。増
元さんが、「法務局が認めなかったら異議申し立てできるのか」と聞いたら、そ
れは裁判所に訴えればできるとのことでした。やってみないと分かりませんが、
近く、手続きを進めたいと思います。

参考情報-3に続く
 

参考情報-1

 投稿者:浅野メール  投稿日:2010年 3月16日(火)22時56分42秒
  ★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2010.03.10)寺越外雄さんの家族の現状-東
京連続集会51


■寺越外雄さんの家族の現状-東京連続集会51

以下は、「寺越外雄さんの家族の現状」をテーマに、平成22年2月24日に開催
された「東京連続集会51」の記録です。文責=編集部

寺越事件:昭和38(1963)年5月11日深夜、石川県富来町(現志賀町)の寺越
昭二さん、弟の外雄さん、二人の甥(長兄の子)の武志さんがハチメ(メバル)
漁に出た。港から400mの所で網を仕掛けていたところ、北朝鮮の工作船が侵入
し、漁船に衝突。その後、抵抗した昭二さんが銃撃され海に沈められ(安明進元
工作員証言)、残された二人が北朝鮮に拉致された事件。北朝鮮は、「北朝鮮の
船が遭難していた3人を救助した。3人は北朝鮮で生きていくことを選び、昭二さ
んは1968年3月30日に北朝鮮で死亡」と主張。政府は平成19(2007)年11月6日、
福田康夫首相名で同事件は「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に該
当」との見解を初めて示した。


西岡力・救う会会長代行

◆外雄さんの家族写真
この写真を見てください(寺越外雄さん、妻の韓福生さん、長男の金明哲さん、
長女の金明心さんの家族写真)。後ろに写っているのが寺越外雄さんです。1989
年1月に写されたものです。寺越友枝さんの二度目の訪朝の時に、友枝さんが預
り、兵庫県に住んでいる外雄さんの兄の文雄さんに届けられたものです。

このような写真がかなりたくさんあります。外雄さんが北朝鮮に連れて行かれ
向こうで結婚し子どもがいたということは、一部では知られていましたが、配布
資料(メールニュース・ホームページ22.02.24参照)にある通り、外雄さんは、
残念なことに肺癌で、94年9月5日に亡くなったとされますが、このことは私たち
は間違いないと思っています。北朝鮮の「遺骨」は信用できないものですが、肉
親が「亡くなった」という手紙を書いてきていますので。

その後、97年に家族会ができ、またその後救う会ができました。我々としても、
亡くなった人より生きている人の救出を考えていたこともあって、外雄さんの名
前をあまり表に出してこなかったのです。

◆寺越武志さんの戸籍回復
私は1991年に、『諸君!』という雑誌に拉致のことを書き、拉致被害者名簿13
人の中で、寺越昭二さん、外雄さん、武志さんのことも書きましたが、情報が錯
綜していていました。どこかに外雄さんが94年に死んだということが書かれたた
め、3人とも死んだものと思ってしまい、97年の時点では武志さんも死んだと思っ
ていました。それを荒木和博さんが『月刊正論』に書いたのです。それに対し、
母親の寺越友枝さんから抗議が来て、「武志は生きている!」と言われました。
これが友枝さんと我々との最初の出会いです。

そこで友枝さんと色々話をして、「生きているということであれば戸籍を回復
したらどうですか」ということになって、97年の6月に武志さんの戸籍は回復さ
れたのです。

その時、外雄さんの戸籍も一緒に回復されてもよかったのです。そして、今日、
法務省で話を聞いてよく分かったのですが、地上での管轄は警察ですが、漁業の
操業中に行方不明になった海難事故の場合の管轄は海上保安庁だそうです。海上
保安庁が、死体は上がっていないが、諸般の状況から死亡だと認定することが法
的になされ、それにもとづいて市区町村で戸籍の処理がなされるということです。

武志さんの戸籍回復は保安庁で行いました。本人が生きていて、テレビにも出
てきていますし、写真もありますので、生きている証拠があります。そこで、63
年に死んだのは間違いだったということで、97年時点で死亡取消し認定をし、そ
れに基づいて戸籍が回復しました。

しかし、97年時点で外雄さんは亡くなっていたので、死亡日の変更レベルのこ
とだったのです。海上保安庁から兵庫に住んでおられる外雄さんの兄の文雄さん
に電話がかかってきたそうです。ここには来ておられませんが、今日の要請には
来られました。そして、「外雄さんの戸籍回復をどうしますか」と言われたそう
です。

◆外雄さん家族の戸籍回復を
その時、今日、文雄さんが中井大臣にもおっしゃっていましたが、「自分とし
ては、もう死んでいる人の死亡日だけ変えることをしても、役所の人の手間をわ
ずらわすだけで申し訳ないのでやらなくていいですよと言ってしまった」と。し
かし、二人の子どもは日本の戸籍に載っていません。死亡日を変えなかったため
に、死亡の後に生まれたことになります。従って、戸籍回復のために出生届を出
そうとしても、死んだ人に子どもが生まれるわけはないということになってしま
うわけです。

友枝さんは97年の時点で名乗りを上げて、家族会に入ると言ってみたり、また
入らないと言ってみたり色々なことがありましたが、それ以外の寺越昭二さんの
家族の人たち、そして外雄さんの家族と長く文通をしていた文雄さんたちは、そ
れまで友枝さんの活動を見守っていたのです。

寺越家では、「3人の拉致被害者はいるけれど、生きているのは武志だけだ。
武志が一番いいようにするのが優先だ。北が拉致と認めていないのに、『拉致だ』
と、友枝さんと違うことを言うのは、武志にもしも危害が加えられることがあっ
てはと、我慢していた」というわけです。特に、昭二さんの家族に対しては、
「遺骨」といわれるものが来たけれど土しか入っていなかったので、言いたいこ
ともいっぱいあったわけですが、武志さん優先ということでずっと黙っておられ
たのです。

◆「拉致だ!」と言っても危害を加えられない
それから5年経って、2002年に小泉訪朝がありました。そこで金正日が拉致を
認めた。「拉致疑惑」が「拉致」になった。そして、「拉致していない」と言っ
ていた人のうち、5人が生きて帰ってきた。それを見て、「拉致だ!」と言って
も危害を加えられないことを目の前で見て、「武志のことはあるけれど、金正日
が拉致を認めたのだから他の家族が拉致と言っても武志に危害を加えることはな
い」と判断され、昭二さんの3人の子どもたちと文雄さんが家族会に入ると言わ
れたのです。それが2002年の10月。

その時、私はお会いして色々な話を聞きました。寺越家は11人兄弟で、武志さん
のお父さんが長男で、昭男さんたちのお父さんの昭二さんが次男、文雄さんが3
男、外雄さんが4男です。また昭二さんが拉致されたため、子ども3人のうち2人
は養子に行かれるなど色々複雑です。3人の被害者の中でも、一人昭二さんは、
北朝鮮は病死と言いますが、安明進証言ではその場で殺されたということで、昭
二さんに北朝鮮で会った人はいない。外雄さんは北朝鮮で日本人に会っています。
そして病死となっており、武志さんは健在とそれぞれの状況が違います。

◆墓に「遺骨」があるのか
そういう複雑な状況の中で、我々の運動の中で、昭二さんの子ども3人が名乗
り出られました。昭二さんの遺骨が本物なのかどこにあるのか、現場で殺された
という安明進証言は正しいのかどうか。北朝鮮はこの墓(写真)の中にあると言
うのですが、コンクリートが新しかったり、墓に刻まれている誕生日が違ってい
たり、本人が嘘の誕生日を北に教えるのかということもあって、「問題が起きた
から墓を作ったのではないか」という疑惑があります。

だから、墓に遺骨があるというのなら遺骨を返してくれ。DNA鑑定をして、本
人のものであれば、現場で殺されたのではなく、北朝鮮に上陸して病死したとい
う北の主張が正しいことになる。墓が空っぽであれば、安明進が言っているよう
に、現場で殺されて海に死体が投げ棄てられたという説が正しいことになる。真
相を究明してほしい。そうでなければ、国交正常化になった時に、寺越家は、遭
難を助けてもらったと、北朝鮮に感謝しなければならない。自分たちは北朝鮮に
感謝する立場なのか、お父さんが殺されたのかはっきりしてほしいと言われてき
ました。

外務省でも、今のアジア局長である斎木さんが参事官の時に何回か行き、「分
かりました」ということで、外務省も遺骨の返還問題を日朝交渉に出してくれま
したが、北朝鮮からは返事がありません。

◆武志さんは「私は拉致じゃない」
他方、友枝さんは今も訪朝して武志さんを経済的に支え、武志さんは、「自分
は拉致ではない」と言い続けています。武志さんの問題で、我々が貢献したと思っ
ていることが一つあります。97年、家族会ができ、続いて救う会ができ、「武志
さんも拉致だ、拉致だ」と言ったのです。それに対し、武志さんが記者会見して、
「私は拉致じゃない」、「北朝鮮はいい国だから残ったのだ」と言った。その後
武志さんは引っ越したのです。

それまでは、平壌の北にある亀城(クソン)市という地方都市に住んでおり、
旋盤工ということになっています。それが平壌に引っ越して、平壌市の職業総同
盟の副委員長になった。ものすごく広いマンションに住んで、そこで誕生パーティ
ができるくらい。そこに日本から政治家が行って、森元総理もそこに行って金容
淳(故人、元朝鮮労働党中央委秘書=対南担当)などと会っている。「北朝鮮の
方がいいから日本に連絡しなかった」と言っている人の家が貧しい家なら、嘘に
なってしまいます。「いい暮らしをしている」と言わせた以上は、いい暮らしを
見せなくてはならない。そして待遇が上がったのです。副委員長と言っても権限
はないと思いますが、階級に合った配給になります。

その頃は大飢饉の頃でした。その頃、配給のいい階級にあげることができたと
いうことは、向こうでは「迷惑だ」と口には言っていますが、我々の運動の成果
ではないかと内心思っていました。名前を出して訴えたらどうなるか。待遇が上
がったのです。

そして武志さんは2001年に、『人情の海』という長編手記を出したのです。そ
の中で、こう言っています。「出漁していたら変な船とぶつかって海に投げ出さ
れた。気がついたら北朝鮮のベッドで寝ていた」。ぶつかった船は北の船ではな
いことになっています。正体不明の船にぶつかって、その後、助けてくれたのが
北の船ということになっています。その時3人は、「北朝鮮は日本人を恨んでい
る。自分たちが日本人だと言ったら殺されるかもしれない。在日朝鮮人というこ
とにしよう」と言って、北朝鮮に嘘をついたことになっています。それが間違い
だった、と書かれています。なかなかうまくつじつまを合わせるものだと思いま
した。

それで、「日本のなんとか協議会とかなんとか連絡会という人たちが私のこと
を拉致と言っているけどそれは間違っている」と批判しています。「なんとか協
議会」というのは救う会全国協議会のことでしょうし、「なんとか連絡会」とい
うのは、被害者家族連絡会(家族会)のことでしょう。この2001年の本では、横
田めぐみさんの拉致も、田口八重子さんの拉致もでっちあげ、北がするわけがな
い、と書いてありますが、金正日がその1年後に拉致を認めてしまったので、武
志さんはその後、どう説明するか聞いてみたいところですが、無理やり書かされ
たということです。

◆拉致被害者なのに日本に手紙が出せたケース
しかし、この間、外雄さんのことはほとんど運動の中で取り上げてこなかった
のが実情です。この東京連続集会を友愛会館でやっていた時は、一人ひとりの被
害者家族が思い出を語るという集会をやってきましたが、外雄さんについてはや
らなかった。寺越事件は昭二さんのことだけをやり、写真パネルの中には一枚だ
け外雄さんの写真が入っていますが、外雄さんがどういう人だったのか、そして
外雄さんのことを語るのならば、外雄さんの家族を語らなくてはならなかったの
です。

外雄さんは向こうで結婚しています。しかし、あとで長瀬さん(救う会兵庫会
長)から説明がありますが、外雄さんは拉致被害者なのに日本に手紙が出せたと
いうケースです。87年からたくさん手紙が来ています。文雄さんのところに100
通くらい。その他にお姉さんのところにも送っています。外雄さんが亡くなった
後も、奥さんの韓福生(ハン・ボクセン)さんから、夫のお兄さんである文雄さ
んのところに来ています。一番新しいのは昨日来ました。だから文通ができてい
るのです。手紙のやり取りが自由にできているケースです。

余談になりますが、では87年に、なぜ北朝鮮が拉致被害者なのに手紙を許した
のだろうか。他の人はそんなことができないのに。それを考えると管理が違って
いたのではないか。60年代の寺越事件と、76年の金正日による現地化指令の後の
拉致とは、系統も担当も違うようです。

金正日の現地化指令により、テロに関わるような秘密に関わった人たちはいな
いことになっているので、手紙なんかもちろん書けないわけです。北朝鮮は関係
していないと言わなければならない。しかし、武志さんと外雄さんについては、
手紙を書かせた。結婚相手は、帰国在日朝鮮人です。前は、韓福生さんの家族の
方に手紙を書いていたのです。実家は大阪で、韓福生さんは1960年に帰国船で北
に帰ったのですが、その時、彼女のお母さんと妹は北に行ったけれども、お父さ
んとお姉さんは行かなかった。だから、お父さんとお姉さんは大阪に住んでいて、
今回上京された外雄さんのお兄さんの文雄さんは実家に行って何度も会っていま
す。

ところが、「今は縁を切った」、「だから関わり合いたくない」と言われたの
です。在日朝鮮人の中で一部にあるのですが、物の無心がたくさん来て、代も代
わってたくさんお金を送れなくなり、「もう関わらないことにした」という家庭
がかなりあります。多分、韓さんの家庭もそうだったのだろうと思います。そし
て、今は引っ越してしまって住所も分からないそうです。だから北から手紙も送
れない。送れなくなった頃に、外雄さんが、自分の実家に手紙を書くことが許さ
れたのです。

◆担当している保衛部員などが賄賂を取る
物が来ると、担当している保衛部員などが賄賂を取るのです。だから、担当者
も、在日朝鮮人扱いにして手紙を書かせ、物を取ろうとしたのです。そういう点
では、秘密を守ろうとする度合いが低かったということも言えると思います。と
にかく亡くなった後も手紙がどんどん来ていて、日本からずっと送られたお金で、
外雄家は大飢饉の時代を乗り切り、息子を大学までやれたのです。

息子の明哲さんは獣医大学を出て、最初専門学校の講師になられ、今は畜産技
師です。獣医師の資格を持ち、それを生かして働いているわけです。また、秘密
の場所ではなく、社会に出て働いています。そういう所に就職したり、大学に行っ
たり、大学で卒業論文を書いたりする度にお金が必要で、そういう手紙がずっと
来ていて、文雄さんのところでは弟の家族だし助けようということで、ずっと助
けてきたのです。

ただ、神戸大震災で文雄さんも被災者になってしまいました。文雄さんのうち
は理髪店ですが、お店もつぶれ、借金を返さなくてはならないということになっ
て、大震災の後からは頻繁にお金を送ったりすることは止められたそうです。そ
の後、明哲さんが結婚するという時にはお金を送ったりしていて、昨日来た手紙
では、「私たちから手紙が来るとぞっとするとおっしゃっているようだけど、し
かし助けてください」という趣旨のことが書いてありました。

そういう中で、長瀬さんが文雄さんの所に何回も通って、手紙もたくさん見せ
てもらい、段々分かってきたのは、この二人の子どもさんは、曽我さん、ジェン
キンズさんの二人の娘さんや蓮池さん、地村さんの子どもたちと同じで、日本国
籍を持ち、拉致被害者の子どもであるということです。

(参考情報-2に続く)
 

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