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結局

 投稿者:神って誰  投稿日:2017年 3月 6日(月)21時39分18秒
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  何処まで行っても、ではなぜその方程式が存在するのか、と言う際限のない問いかけが終わることは無い。

存在には必ず何らかの理由(原因)がある、と言うのが科学の思惟方法だ。
それに対して、宗教は存在理由を求めない。
事実を究明しようとする限り、存在理由を追い求め続けれることになる。

当然それはデザイナーの存在理由にまで到達する。

それが仮に明らかになったとしてもそこでは終わらない。
存在理由の存在理由がさらに問われる。
断ち切れない連鎖だ。

従って、それを承知した上で前提を設定するしかない。
前提は推論によって導かれる。
つまり設計者の存在。

提案の理由のひとつは、効率だ。

設計者の存在を前提とすれば、検証の効率が上がる。
余計な回り道をしないで済む。
つまり真実に到達しやすい。
結論から逆の道筋を辿っていけば良い訳だ。

だがこれは勿論、設計者と言う全く正体不明のもの前提とする。
つまりその.部分に関しては科学の守備範囲を全く超えている。
であるから、そもそも非科学的と言う話になるね。

だが、当たり前のように考えられている重力にしても、あるいは時間にしても、その存在が知覚できるから誰も疑わないが、その正体は何かと問われたら、現代の科学レベルではまだ誰もまともに答えられない。

ニュートンやアインシュタインの重力方程式にしても、それが正しいかどうか、現実に合致しているかどうかが問題なのであって、誰もその成立理由は問わない。

正体不明であっても、現実世界に作用する数学的な記述は可能だ。
勿論設計者はそれ自体数学的な記述などできないが、その正体が不明だからと言って存在の否定にはならないのは言うまでもなく、そのような存在を不可欠と推論して、科学の前提に置くのは不合理とは言えない。

意味、分かるかな。
根本的な思考のパラダイムの転換だ。

それを受け入れて、そのような前提に立てば、荒唐無稽とも言うべき自然選択論に振り回され続けて、無用な時間とエネルギーと思考を消耗する必要もない。

正体不明の設計者を考察することは、深い暗黒の底を覗き込むような、気の遠くなるような話だ。
つまりその恐怖に負けて、自然任せの世界に逃げ込んでしまうかどうか、と言う選択の問題だ。

恐怖に打ち勝てなかったら仕方ない。
 
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