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またメタな話ですが

 投稿者:diamonds8888x  投稿日:2018年 4月14日(土)08時07分47秒
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   実のところP1~P3自体に曖昧さがあるのかなという気もしていたのですが、Kenさんのコメントでそこが明確になった気もします。あっ、つまり、3つの分類が不明瞭であったことが明確になったという意味ですが。このあたりは私も考えが変化しているところも少しあるので御承知おきください。

 「自然選択を否定してもIDの肯定にはならない、という意図を込めて」というのは実のところP1~P3の全てに当てはまりますよね。結局は3つのどれも「自説の根拠を示さずに、対立説の欠陥だけ示す」という行為ですから。

 例えばP3は「対立説が正しいことが立証されなければ自説が正しい」という論法を使っていることになります。まさに消去法の誤用ですね。

 P1とP2とは対立説はさておいて自説の立証をどうしているのかという点の話ですが、ここで具体的にどんなものを「根拠」と考えるのかが人によって違ってくることが問題の根っこではないかと思います。私見ですが、例えばもっとも素朴な創造論者の感覚では「神の存在は疑うべくもないので、それを根拠にした論理展開は正しい」となるのではないでしょうか? 一方近代以降の普通の自然科学者の感覚では「観測されていない神の存在を前提とした理論は科学的ではない」「人間以上に複雑な存在とされる神やデザイナーの存在は、より単純な存在から推論できない限り、理論的存在としても成り立たない」ということになりますから、折り合いませんよねえ。

 で、これほど明確ではない「根拠」の判別がたくさんあって、それゆえ科学と疑似科学の境界は不明瞭になる、ということだと思います。両者の境界を言葉ではっきり定義することはできない、ということは線引き問題の逝去で指摘されていて、私もその通りだと思います。ゆえに、現実問題としては個別の根拠を判定していくしかなくて、そこでは根拠の評価を巡って対立は生じるでしょう。

 P2についてはまさに、「それは根拠にならない」「いや根拠だ」の水掛け論が続きそうなリスクがありますねえ(~_~)

 私がP1でイメージしていたのはひとつは反証不可能な理論、例えば典型的にはオムファロス(へそ理論)と呼ばれるものです。もうひとつのイメージが、例えば「神の行為による」と言うだけでその行為の働くメカニズムとか性質は述べないので、どうすれば実証できるのかが不明な理論です。実証とか検証の方法が考えうるのではあれば、理論としてはP1の条件はクリアしているというのが私の考えです。
 
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