|
以前は、お墓の相談で悩む真摯な人が多かったと思う。
今は様変わりをして、お墓で悩む人も皆無。
どうでも良くなってきている。
何回忌まで勤めなければいけませんか?。
御布施は幾ら渡したらよいですか?。
無宗教なのですが、葬式や法事をしなくても良いですか?。
とか、答える事すら嫌になる。
芯から建墓に悩む人に出くわさない。
全ては本人の身勝手で短絡な方法の良し悪しを伺ってくるだけ。
葬式の日の初七日と四十九日を勤めてお墓も要らない戒名も要らないとする考えの人にもはや言い足す言葉はない。
貴方を産んで育てて下さった親やご先祖への報恩感謝を示す、それを子孫にも反映させ伝えて行こうとする感謝の気持ちが無ければ御墓は立たない。
自分勝手に生きて来たと思うのだから、お墓などはクソ喰らえに成ってしまう。
お墓が立たなくなった現代、どう進めていくのか、宗教者がいない事もこの寒い現状に陥っている。
産んで育てて大学まで行かせ結婚をさせてくれた親への感謝。
亡き親の仏の道の大学成就へ供養の道を重ねて行く親孝行って当たり前と思うのだが。
貴方の身体を真っ二つに割ると出て来るのは亡き両親のDNAのみ。
貴方の身体自信が両親で作られているのです。
ご先祖の悠久のDNAが体を形成しています。
そうなれば、親の為に、ご先祖の為に、手を合わせる事ぐらい簡単な事でしょう。
|
|